【書籍紹介】『ドイツ・エコロジー政党の誕生 : 「六八年運動」から緑の党へ』

ドイツ・エコロジー政党の誕生 : 「六八年運動」から緑の党

西田慎著

内容(「BOOK」データベースより)
1968年。世界中で若者が改革を求めて決起した。あれから40年…彼らの闘争は何をもたらしたのか?なぜ「全共闘世代の党」がうまれなかったのか―。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
西田 慎
1970年京都府生まれ。神戸大学文学部史学科卒業。神戸大学大学院文学研究科修士課程を経て、ドイツ・ハンブルク大学社会科学部政治学科博士課程修了。2005年ハンブルク大学で博士号取得(政治学)。2008年より神戸大学非常勤講師。専攻、ドイツ現代政治、欧州の環境政治(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「BOOKデータベース」より
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E6%94%BF%E5%85%9A%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E2%80%95%E3%80%8C%E5%85%AD%E5%85%AB%E5%B9%B4%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B7%91%E3%81%AE%E5%85%9A%E3%81%B8-%E8%A5%BF%E7%94%B0-%E6%85%8E/dp/4812209609

[目次]
プロローグ 「六八年世代の党」としての緑の党
1 西ドイツにおける「六八年運動」
2 「六八年運動」の解体と分裂
3 「六八年運動」から新左翼
4 緑の党の結党と新左翼流入
5 党内潮流の対立と新左翼
6 「六八年世代」対若手世代-党内世代間対立の発生?
7 「六八年世代」による権力奪取-赤緑連立政権の発足
8 緑の党の外交・安全保障政策の変遷-「六八年世代」と戦争
9 フィッシャーという生き方-「六八年」の革命家から外相へ
エピローグ なぜ日本では「全共闘世代の党」が実現しなかったのか

「BOOKデータベース」より


(参考記事)

正統性の危機
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/archive/2011/5/7

〔以下、一部抜粋〕

>リスク問題が「正統性の危機」を生む可能性は、リスク問題を取り上げるラディカルな社会運動が存在すればするほど大きくなる。このような、突出したリスクの存在と、公共圏で活動するラディカルな社会運動との組み合わせは、1970年代以降のドイツを特徴付けてきた。広範な基盤をもつラディカルな社会運動の全盛期は1970年代と1980年代(ドイツでは緑の党が形成され、反核運動が高揚したのが1980年代)だったが、反核運動は2001年になってもまだ、核物質の船による輸送に反対する抗議運動に大勢の人々を動員することができた。ドイツのサブポリティクスは、ラディカルな運動の代表者と穏健な運動の代表者、環境問題研究調査機関、そして企業の相互作用にその特徴がある。政府の中心部分で「エコロジカル近代化」を追求する穏健派の環境主義者と、リスク問題と政治経済の批判に焦点を当てるラディカルな社会運動との、ドイツにおける組み合わせは、実りの多い組み合わせである。といっても、ドイツが包括的な「国家のエコロジカルな変容」のようなものを達成していると言っているわけではない。ましてや「再帰的近代」が達成されたわけでもない。しかし、ドイツは他のほとんどの国々と比べて、この方向にさらに進む潜在的な可能性をもっている(ドライゼク他2003)。そしてその理由のひとつは、ラディカルな社会運動の持続的な存在と、かつてのラディカルな社会運動のさらに強い記憶の存在なのである。
(John Dryzek & Patrick Dunleavy, Theories of the Democratic State, 2009にもとづく)

――日本では、「ラディカルな社会運動」の「伝統」は完全に途切れてしまっている。ドイツと比べれば、緑派の社会運動、否、社会運動そのものが、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」とおだてられてナルシシズムナショナリズムが高まった1980年代以降、きわめて弱体・低調であった。

「一方日本では、私生活に回帰していった流れは、大半がそのまま企業戦士となって、体制に順応した。ドイツのように、独自の新左翼サブカルチャー・ミリューが形成されることもなかった。新左翼に向かった流れは、ひたすら内ゲバと分裂を繰り返し、一部は成田で空港反対闘争にも関与していくものの、そこからエコロジーと左翼の連合が成立することもなかった。結局、『68年』以後ばらばらになった流れは、それを再び束ねようとする政治勢力も現れないまま、雲散霧消していったのである」(西田慎『ドイツ・エコロジー政党の誕生――「68年運動」から緑の党へ』昭和堂、2009年、222頁)

しかし「68年世代」(団塊の世代全共闘世代)とほぼ完全に断絶していることは、日本のこれからの「緑のラディカルな運動」――その担い手は21世紀の若者たちである――にとっては、むしろプラスに働く可能性がある。左翼と旧世代が抱えていたさまざまなドグマやしがらみから解放された若い世代が「新たな運動の地平」を形づくる可能性があるからだ。この点についてはいずれ記事を書く。

本日は、「政府の中心部分で『エコロジカル近代化』を追求する穏健派の環境主義者」が日本でも登場する(そして、ひょっとしたら、主流派の位置を占める――しかも旧来の「保守派」の一部がその担い手となるかもしれない?)可能性があることだけを指摘しておきたい。

たとえば、以下は架空の想定だが、旧来の保守中道派が「エコロジー的価値」を掲げて現政権に対抗する。具体的には河野太郎氏が自民党の総裁(彼は既に総裁選挙に出馬したことがある)になり、他の政党の一部と連合して政権を奪取する。小泉政権の例もあるから、自民党が弱体化したときには(大衆的な支持を得るために)このようなバネが働く可能性は十分ある。管政権が浜岡原発の運転を「一時停止」する「要請」を昨夜出したが、民主党も「エコロジカル近代化」の方向に一歩踏み出さなければ、政権維持ができないだろう。

ここで注意すべきは、「エコロジカル近代化」はけっして「ユートピア」などではない、ということだ(既得権益とbusiness as usual意識で頭が凝り固まっている人には「非現実的」な「ユートピア」に見えるかもしれないが)。それどころか、(制限字数のため、いま詳しく説明する余裕はないが)長期的にみれば、「エコロジカル近代化」は、リアルな、いわば人類の世界史的な「必然」である。また「エコロジカル近代化」は、(もちろん、その「構造改革」のプロセスは、多くの「痛み」を伴うが)けっして「革命的」なものではない。「エコロジカル近代化」がめざす社会システムは「近代産業=勤勉社会」の延長線上に位置する社会システムであり、「近代」「資本主義」の論理の「高次発展型」と言ってもいい(他方、「脱成長」と「ポスト開発」は「脱近代」をめざし「資本主義(より正確には、「社会主義」を含む、産業=勤勉主義)を乗り超える」思想と運動であり、おそらく「革命的」な――と言ってもいいくらいの――社会システムと人びとのライフスタイルの大転換を要請するだろう)。

わたしの仮説によれば、「エコロジカル近代化」は

①19C「夜警国家」=「自由主義市場国家」(実態は夜警にとどまらない、上からの資本の本源的蓄積推進国家、植民地帝国主義国家だった)、

②20C「福祉国家」(実態は、総力戦体制国家だった)

に続く

③21C「環境国家」

という、「近代資本主義国家」のイデオロギー(くどいようだが、実態が伴っているかどうかは別問題)の第三局面を表している。

「エコロジカル近代化」路線をとる――イデオロギー的には①「豊かさ」(経済成長)と②「福祉」(一定の社会的公正)と③「環境」の両立をめざす――「環境国家」の「現実性」と「非革命性」(=以前の段階との連続性)を示す指標を三つあげておく。

第一、「エコロジカル近代化」は、政治家、官僚、科学技術者、経営者、その他の権力エリートにとっては、みずからの「本領」を発揮し、地歩を固める「絶好のチャンス」である。

第二、「エコロジカル近代化」は、企業にとっても長期的には必然であり、イノベーションに成功した場合には、むしろ「今より儲かる」かも知れない。「グリーンニューディール」とか「緑の資本主義」というスローガンは、その可能性を示している。

第三、「エコロジカル近代化」は、(「ニューディール福祉国家」がネオリベラルやリバタリアンによって批判された、その後の時代に)「平時」に国家権力の正当性と存在意義を示すことができる、いわば「最後のチャンス」である。


(時間切れ。続きはまた書く。今日は渋谷でデモがあるそうだ)



補注

原発緑の党」、初の州首相に=社民党と連立合意−ドイツ
【ベルリン時事】ドイツ南西部のバーデン・ビュルテンベルク州で3月に行われた州議会選挙で、第2党となった90年連合・緑の党と第3党の社会民主党は27日、連立政権の樹立で合意した。これにより、緑の党の州首相候補ウィンフリート・クレッチュマン氏(62)を首班とする連立政権の誕生が確実になった。反原発を党是とする同党から州レベルで首長が出るのは初めて。
 クレッチュマン氏は記者会見で、「再生可能エネルギーのモデル州とならなければならない」と決意を語った。(4/28)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042800125

――3月27日の選挙では、福島第一原発事故独国内の原発の安全性が最大の争点となる中、脱原発を掲げる環境政党、90年連合・緑の党が大躍進を遂げた。緑の党は得票率24・2%と前回選挙に比べてほぼ倍増。得票率23・1%の社会民主党との合計獲得議席過半数に達した。基幹産業が集まる保守の牙城である同州に、ドイツで緑の党が発足した1980年以来、初めて「緑の党の首相」が誕生することになった。

これはいろんな意味で、画期的な出来事だと思う。「体制内化」した緑派が各地で実際に政権に加わるかどうかということよりも、緑派が勢力を拡大すること(自派が緑派に食われること)を恐れて、左派や社会民主主義グループだけでなく、右派や保守中道グループ(イタリアのベルルスコーニ、ドイツのメルケル、フランスのサルコジ等々)が、エコロジカル近代化路線の方向にさらにシフトする可能性がある。